伝説の父 逝く

2月10日に父が死んだ。

このサイト(と旧サイト)では、本当にたくさんの話題を提供してくれた父だ。

私とミヤマクワガタが本州にいるかどうかで喧嘩になり、娘に算数を教えてあげようか言って煙たがられ、妻の母親にお世辞のつもりで取り返しのつかない暴言を吐き、旅行先で会った人々に失礼な言葉を連発する。

そんな、数多くの伝説的な逸話のうち、初期の伝説である、2003年1月の話題を再掲する。


父が東京から出てきているのでドライブがてらワカサギ釣りの風景を見せに行った。

三の沢には何人かの釣り人が入っていた。テントの外で釣っている人に父が話しかける。
父の社交性はとても恥ずかしかったが、これも接待の内だと思って諦めていた。

集団から少し離れたところで、1組のカップルが釣っていた。寒い中テントはなしだ。
すぐに父が話しかける。
「釣れますか?」
「ええ、少し。今は止まっていますが。」
嫌な顔一つせずに彼女が答える。
感じの良いカップルだ。

次のオヤジの一言に一同は凍りついた。
「娘さんですか?」
おい、オヤジよ。それは、彼女へのお世辞のつもりか?それともボケなのか?それともボケたのか?
誰が見てもカップルと分かる若きカップルに「親子か?」はないだろう?ええっ !?

彼女は、素敵な笑顔で
「そう、老けてるでしょ?フフフ。」などと言って場を和ましてくれる。
彼氏も怒るでもなく微笑んでくれている。
そこへ、ヤツのさらなる一言が

「どうやって知り合ったんですか?」 おいっ!なぜ初対面の方にいきなりそんなこと聞く!!
「どのくらい付き合っているんですか?」 余計なお世話だろう?ワカサギ釣りはどうなった!
「へー、1年半。それは長い!」 長いのか?「それは長い!」ってのはどういう意味なんだ?

さらにヤツはとんでもないことを言い出した。
「息子も釣りをするんですよ」 俺のことはいいだろう?
「少しやらしてもらえないですかね」  おい、何を言い出してくれちゃってる!

カップルはこの見ず知らずの礼儀知らず親子に、快く自分達の使っている竿と椅子を貸してくれた。
「なかなか釣れないねえ・・・おい、もういいのか・・・まだ釣ってないぞ・・・ホントはまだ釣りたいんだろ・・・いいんだぞ遠慮しないで・・・こいつは釣りが大好きでねえ・・・」 完璧です。完璧ですよ。お父様。


こんなネタを来道するたびに提供してくれる父だった。

会うたびに喧嘩になった。最期となった1年前も言い争いなった。その時は弟夫婦に子どもができないことをとやかくいうのを咎めたことがきっかけで喧嘩になったのだった。

訃報から葬儀まで5日ほど時間があったので、東京の親戚たちと父の思い出をたくさん話すことができた。誰もが、彼の手前勝手な行動に呆れ、閉口した共通経験があったが、話すうちに結局「おかしな人だったよねえ。」と、笑い話になってしまうのが可笑しかった。結局のところ皆に支えられ、大切にされてきた人だったようだ。

私が小さい頃両親は離婚して、私は父親のもとで育てられた。

だから私の考え方や性格に父はたくさんの影響を与えたし、私は父からたくさんのことを学んだ。

父は私のことも、私の家族のこともとても大切に思ってくれていた。

とりわけ、私の娘たちに会うのを本当に楽しみにしていた。

長女が東京の大学へ来たら、うちに住まわせてやるぞなどと言っていた、長女がこの春から大阪の大学へ行くことになった。

弟夫婦には子どもができて、7月に出産予定だ。

死はいつかは来るものだから仕方がないのだろうが、長女の大学合格と弟に子どもができたことを知ったら喜んだろうなと、思う。

父と娘。あの頃はまだタウシュベツの上を歩くことができた。