胆振東部地震の停電で考えたこと

9月6日の午前3時にスマホのアラートが鳴り、その直後に地震があった。震度3か4くらいに感じた。普段の起床時刻まではまが少し時間があったので、もう一度寝た。

AM4:30に目覚ましが鳴り、寝室から出て階段の電気を点けようとすると点かない。1Fに下りると居間の電気も点かない。ブレーカーを確認したが異常がなかった。ということは、と、玄関から表へ出てみた。案の定、街の電気はすべて消えていた。停電だ。

その後、妻がラジオのスイッチを入れた。停電が全道規模だということを知った。一時的なものだろうと高をくくっていたが、その後ふた晩停電のまま過ごすこととなった。

6日の夜7:30。普段ならどこの家でも電気が煌々と点き、夕飯を食べたり、TVを見たりして過ごしているだろう時間帯に玄関を出ると、いつもよりもだいぶ静かな暗い街が広がっていた。それでもそのくらいの時間には車の走る音や散歩をする人の話し声も聞こえた。頭上に広がる満天の星に驚く親子や夫婦の姿も見られた。

我が家は水がとまることはなかったのでそれほどの危機感は感じなかった。コンロがガスだったらもっと良かったのだけれど、家を建てたときにIHにしていた。それでも卓上コンロやキャンプの時に使うワンバーナー、そしてバーベキュー用の炭もあるので、とりあえず 何日か凌ぐことに不安はなかった。

この時期、ランタンやバーナーを室内でつけのは暑い!

鍋で炊く飯は美味い!

停電が始まって40数時間後に我が家の灯りがともった。なんと強い光なのだろうと感じた。

その後、計画停電を防ぐために20パーセントの節電が呼びかけられて、職場ではあらゆる場所の電気を切った。我が家もできる限りの節電をした。街の街頭やコンビニエンストア、ガソリンスタンドなども電気の数を減らしたので、家から見える帯広上空はいつもよりも少し暗く見えた。節電は面倒ではあったが不便はそれほど感じなかった。ならば、普段が無駄遣いということになるのではないか。

便利さを求める中で、我々が失ってしまったかけがえのないものは確かにある。 けれど普段は失くしたことに気がつきもしないんだ。この星空のようにね。

今回の停電で電気の便利さを改めて感じた人は多かったと思うが、人間の生活というものは今の日本ほど便利じゃなくてもよいのかもしれないと感じた人もいただろうか。

今の我々の生活は、あまりにも電気に依存しすぎて、一度使えなくなった時のリスクが多すぎる。今回停電になってみて、風呂も食事も暖房も照明も通信も娯楽も、何もかも電気がなくてはできやしないということを知った。風呂も食事も暖房も照明も通信も娯楽も電気を使わなかった時代に今更戻れるとは思えないけれど、現代日本においても突然電気が使えなくなるという場面があるということは経験した。

電気がない生活は不便だったけれど、良いこともあった。

・TVがついていない我が家は静かで良かった。

・みんなが早寝早起きになった。

・夜、家族が食卓に集まり、カードゲームなどをして遊んだ。

・鍋で炊いたご飯が旨かった。

・スマホやコンピューター、ゲーム機やTVによって時間が奪われない。

・『別にいつもここにいたよ。』というたくさんの星たちの主張を聴けた。

未だ水の出ない地域もあり、避難所生活の方も大勢いる。亡くなった方や仕事や財産が大打撃を受けた方々も大勢いる中、いささか個人的にすぎる投稿になってしまった。気分を害された方がいらっしゃったら、申し訳ない。